●これまでの歩み

市民運動としてはじまる Sept.
1977
前身「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」の発足
  • 約100名の著名人らによって呼びかけが行われ「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」として発足した市民運動
  • 原爆被爆関係の目で見る資料(写真と絵画)を収集して『広島・長崎=原子爆弾の記録』を市民参加による自費出版で編集・発行、(1978年度・日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞)
    その後、英語・スペイン・エスペラント・ドイツ・フランス語版約2万5千冊を国連諸機関や世界120ヶ国に贈る運動をすすめる
  • 日本をはじめ、アメリカ・旧ソ連・東西ヨーロッパ・中南米の30数都市でも原爆写真展を開催する
    日本国内では“原爆写真展ブーム”を生み出すなど、内外で精力的に活動する
  • アメリカ国立公文書館、アメリカ国防総省などに眠っていた被爆関係の写真とカラー記録映画フィルムを新たに発掘
    『原子爆弾の記録=ヒロシマ・ナガサキ』『知ってください・あの日のことを』『DAYS TO REMEMBER』『中性子爆弾』を編集、初めてアメリカ側の写真資料を公開する
July
1980
「10フィート映画運動」スタート
  • アメリカに眠るカラー記録映画フィルムを(約10万フィート)市民運動によって入手、反核・平和の記録映画を国際的に製作・上映する運動「10フィート映画運動」を展開する
  • 『にんげんをかえせ』『予言』『歴史=核狂乱の時代』『明日への伝言』『悪魔の火球』『いま、10フィート運動』『幻の原爆フィルムを日本人の手へ・悲劇の瞬間と37年目の対面(TV放映』などの作品を発表。(10フィート運動で1980年度・日本ジャーナリスト会議特別賞を受賞)
『平和博物館を創る会』スタート Nov.
1983
「平和博物館を創る会」に名称変更
  • 市民運動『被爆の記録を贈る会』の活動を通じて集まってきた諸資料を永久保存し、一般利用の道を開くとともに、全世界的な平和と戦争に関する各種資料を収集、保存、公開、普及するための視聴覚資料センターの設立を目指して、運動の名称を新たに『平和博物館を創る会』とする
1984〜 新しい平和作品の製作・普及
  • 映画:『戦争=子どもたちの遺言』『海=いまトマホークが…』『君知ってる?首都炎上』『ぼくのいる街』
  • 目で見る平和資料・教材:『アウシュヴィッツの記録』『銀座と戦争』展示用写真パネル『原子爆弾の記録=ヒロシマ・ナガサキ』
  • 『世界・平和の絵本10冊シリーズ』の完成(1990年春)
  • 『紙の戦争・伝単』(1990年8月)
終戦・被爆50年へ向けて Oct.
1991
「世界平和映画祭」
  • 「10フィート映画運動のしめくくりとして「10分映画!運動」を呼びかけ、『世界平和映画祭』(草月ホール/17ヶ国72本・海外ゲスト14人参加)を東京で開催し、好評を博す
  • 平和映画祭参加作品として『ぼくのいる街』を製作
Apr.
1993
「虎頭要塞日中共同学術調査団」
  • 旧ソ満国境(中国黒竜江省虎林県虎頭鎮)にある関東軍巨大地下要塞の調査を行う
  • 単行本『虎頭鎮を知っていますか?』発行
1995 終戦50年記念出版事業
  • パンフレット『ぼくの街に爆弾が落ちた』『平和博物館を考える』の新刊
  • 幼児向け立体絵本『すばらしい地球』の新刊
  • 写真集3部作『アンネ・フランク』『あの日、広島と長崎で』『アウシュヴィッツからの手紙』の新刊
  • 写真集『銀座と戦争』の増補再刊
  • 米軍の長崎占領直後に撮影された記録映画のフィルムを発掘入手
歴史遺産・記録写真のデジタル修復と保存
  • 写真展『Ground Zero』(東京都庁):デジタル修復された山端庸介氏・松重美人氏の作品展示、原爆被爆・戦争に関わる記録写真のデジタル修復と保存をアピール
現在とこれから 1996〜 新たな市民運動の展開
  • 放射能汚染警鐘の写真集『すばらしい地球を!=世界のヒバクシャは訴える』を世界に贈る運動
  • 長編記録映画『Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki(広島・長崎における原子爆弾の影響)』の日本語版製作とその永久保存
  • 写真展『山端庸介氏の平和遺産』の全国展開
  • 菊池俊吉氏の広島記録写真のデジタル化(データベース化)
  • インターネットなど新しいメディアを利用したグローバルな平和のための活動
  • 1997年10月に、写真集『核の20世紀』日英対訳版を編集・発行(1998年度・日本ジャーナリスト会議本賞を受賞)」