平和博物館を創る会・理事会
1987年1月22日作成
最近、いくつかの大都市を含む自治体で、「平和資料館」「国際平和館」等名称はさまざまですが、いわゆる平和と戦争に関する諸資料・諸情報を集積し、それらの展示・一般利用を図るための施設 ―― それらを総称してここでは平和博物館(THE
PEACE MUSEUM)と呼ぶ ―― の開設が企画・計画されています。
それらの動きを促しているのは、直接的には、各都市が過去に体験した空襲・戦災・戦時生活など戦争の悲惨さを、次の世代に、再び繰り返してはならないという立場から伝えようとする市民の意識と活動の高まりによるものです。しかし同時に、"地方の時代"の呼び声の中で、二回に亘る国連軍縮特別総会、国際平和年を経て各地で草の根を含む新しい市民レベルの平和運動が起り、それに触発されて、自治体自身や議会が平和宣言・非核宣言を行ない、平和のための多様なシンポジュウムやセミナーなどを開くことによって積極的に平和問題に発言し、市民を啓発しようとする意識的な動きの延長線上に生起してきたものです。
今日の平和博物館は、それらの市民、自治体、国際状況の動きの結節点に構想されているものと見ることができます。私たち平和博物館を創る会は、それらの市民の動きと各自治体の努力を心から歓迎し、敬意を表する立場から、ここに首都圏内の各自治体が開設する場合の『平和博物館(同種の施設の総称)基本構想』案の作成を試みました。この基本構想は、ささやかではありますが、この10年に亘る私たちの活動の総括の上に、86名の平和博物館を創る会よびかけの意見を集約し、同理事会の討議を経て成文化した一つの試案であり、首都圏各自治体に対する提案です。
世界平和ポスター展/ミニ平和博物館ギャラリにて
1.首都圏の都市として国際平和に貢献する
今日、世界は核狂乱の時代ともいうべき危機的な状況を迎えています。それは核弾頭の想像を絶する数量の増大だけでなく、核攻撃をまぬがれたとしても、"核の冬"の悲惨が地球全体を破滅へ導くものとしても警告されています。その中で日本の首都圏は、他のどの国にも見られない程多くの軍事基地をかかえ、その運用は強化され恒久化の方向にむかっています。
これらのことは、遠からず首都圏住民は、臨戦的な核兵器体系の網の目の中で住み続けなければならないという危険な状況を示しています。核戦争時の初期破壊目標地域になるという声も聞かれるゆえんです。
今日の核の脅威の時代にあって、すでに平和は日本にとってだけでなく人類社会の存在のための不可欠な絶対条件となっています。市民一人一人が生きてゆくということは、核兵器も戦争もない平和的な国際社会を創ってゆくことと同じであるとの認識は、21世紀へ向けて時代のものとなろうとしています。こうして、平和と戦争をめぐる諸問題は、今日国際的な問題であると同時に、すぐれて直接市民一人一人に関わる問題となってきました。そうした中にあって、自治体そのものが、より積極的に平和を希求する活動を強めることが望まれています。
すでに1、100カ所を超える「平和・非核宣言」自治体の趨勢がそのことを端的に物語っているといえましょう。とりわけ首都圏は世界最大の人口をもつばかりでなく、21世紀へ向けて世界の中枢的都市になろうとしています。その中に生きる市民の願いと活動を基礎に、自治体と市民が、各種組織・団体と共により緊密に連携し協同して、さまざまな分野、領域、レベルでの平和への取り組みを通じて、世界平和に積極的に貢献してゆくことの意味は、限りなく大きいといわなければなりません。
そのような、平和のためのあらゆる創造活動を保障し、状況にみあって常に発展させてゆけるような平和機能を都市機能の一つとして持つべき時です。それは、「平和のうちに生存する権利」を確認し、「平和主義」を基本原理とする日本国憲法のもとで、自治体に課せられた責務でもありましょう。そして、いま、そのための拠点造りを必要としています。
2.戦争体験をふまえて戦争の悲惨さを伝える
首都圏は太平洋戦争の中で、都市圏であったために苦しい戦時生活を余儀なくされました。
全国に共通する戦時体験はいうまでもなく、学童・建物など各種の疎開体験、軍需工場への動員、食糧難、そして連合軍による占領期の体験などなど、他の地域に劣らず深刻なものがありました。その上、一夜にして10万人の生命を失うという未曾有の経験をした東京下町地区、あるいは横浜、熊谷、千葉などへの大規模空襲をはじめとする各地への空襲は、多大な破壊と犠牲と数限りない悲惨をもたらしました。
こうした都市としての深刻な体験は、今日においてもなお平和を求める原点・原動力であり、また戦争の実相と平和の尊さを次の世代へと伝えてゆくときの原点となるべきものです。
にもかかわらず、戦争体験の風化が憂慮されて久しく、それはいま、戦争の時代を生きた高齢者の間の新たな危機感をともなった声となっています。しかし現状のままでは、時間と共に確実に、そして急速に「風化」は完結してしまう恐れがあります。
風化は体験者の内側でも、人口構成の変化としても加速的に進むからです。最近、過去の戦争体験を未来のために正しく伝え、生かそうと考える人びとの間から、新聞へのおびただしい数の投書、自費出版による手記の発行、亡くなった兵士の最後の地を訪ねる遺族の方々、声を録音テープに残して「永遠の語り部」としたいとする被爆者の出現などなど、伝える側の危機意識はかってなく高まっています。
日清戦争にはじまる近・現代の戦争が未来のために語り継がれるべき歴史上の国民的体験であり、一方その戦争体験の風化が時間の係数において、物理的、必然的に進むとすれば、それを防ぎ押し止めるためには、何らかの社会的な措置と方法がとられなければなりません。個々人の努力ではとうてい限界があるからです。それには、伝える側と受け継ぐ側を確実につなぐ場が存在し、伝えるべき内容を出来る限り豊富に正確に集積し、未来のために活用できる仕組みをもった社会的システムを作りあげる以外ありません。
したがって戦争体験の確実な継承は、家庭・学校・地域社会を結ぶ教育システムやさまざまな平和運動、社会教育運動の中で、あるいはマスコミを通じて行われるだけでなく、「遺す=伝える=受け継ぐ」営みが継続的に保障され表現できる社会的な場、社会的装置を都市機構の中に持つべき段階を迎えています。このことから平和博物館の設置と運営・活動の必要性が生まれています。しかも、それには時間的要素が不可分の問題として考慮されなければなりません。
情報を残す側の高齢化と死が確実に進み、その人びとの人口比率は急速に減少しているからです。戦争体験を正しく後世に伝え得るかどうかは、長くてこの10年、戦時中(注:少なくともアジア太平洋戦争中)の遺品(物品資料とそれに属キるデータ)の散逸、人びとの記憶の減衰等の問題を考慮すれば、恐らくここ数年が、歴史上決定的な意味を持つ時期となるものと考えられます。
戦争体験の風化を防ぎ、伝えるべき平和に役立つ諸情報(物品資料を含む)を未来のための崩れることのない「校倉造り」となし得るかどうかは、いまをおいてありません。人びとの個人体験やその心をも含んだ平和のなめの文化的な遺産が、次の世代の社会的体験へと継承されることなく、永久に失われてしまうことを深刻に憂慮すべき時です。
3.戦争の全体像・実相を伝える
太平洋戦争後40年以上を経た今日、「戦争を体験した世代」から「戦争を知らない世代」へと世代の交代は着実に進んでいます。
日本が他国と交戦した近代戦争は日清戦争に始まり、15年戦争を経て敗戦にいたりました。前項でふれた戦争による首都圏の悲惨は、その15年戦争の最後の段階の出来事でした。そしてその同じ時期に日本国内で経験した最も深刻な体験は、広島・長崎における原爆被爆の体験です。
それは単に二つの都市の戦争体験にとどまらず、それが基点となって今日の核状況が生みだされたことを考えると、世界平和を希求する日本国民全体の原点となるべき歴史的事実でした。また島ぐるみ戦場となった沖縄県の体験も、国内におけるアジア太平洋戦争の悲惨を象徴する忘れることの出来ないもう一つの出来事でした。しかし、戦争体験を考える時、当時の軍隊経験、とくに、海外における日本人自身の戦争体験を忘れるわけにはゆきません。それはアジア・太平洋地域の他国内に日本がもたらした戦場での戦闘体験を含む侵略と支配の体験です。
当時、国家意思でそれに参加させられた日本国民の一人一人にとっては、同じ人間同士が敵・味方という関係の中で殺しあう極限状況のもとで、自分自身と他国民衆の二重の戦争体験を背負うものとなりました。それらの体験は余りにもにがく苦しく、また日本の加害者としての立場を明らかにするところから、ややもすれば思い出したくないという心の動揺を誘い.戦争体験の中から無意識にせよ欠落させてしまおうとする市民感情が一部に見られる深刻な体験です。しかし、それだからこそ.次の世代に二度と繰りかえさせてはならない体験であり、戦争の最も悲惨な実相を明らかにする体験に他なりません。
敗戦につづく抑留や引揚げの体験も含めて、それらの歴史上の事実と体験の集積を除いて、戦争のほんとうの姿を知り、語り継ぐことは出来ないでしょう。したがって前項に見る都市としての戦争体験は、15年戦争のなかに位置づけられ、日本国民全体の戦争体験との関わりによってとらえられるべきものです。このことは、同じ時期に戦場となったアジアやヨーロッパをはじめとする世界の地域での戦禍の悲惨に目を向けてゆくことにつながり、戦争の被害と加害という両側面を正確に伝え、より深く戦争の実相に迫ってゆくことになります。また、戦争の全体像を明らかにする上で、戦争に至る内外の状況を明らかにすることも大切です。
そうした意味で「戦争知らない世代」に戦争体験を継承するとき、戦争の実相をトータルとしてとらえる立場から、太平洋戦争と第二次世界大戦の時期を最大の焦点とする15年戦争の中で、日本の民衆が関わった国の内外での戦争体験と戦争の実相を伝えてゆく基本的な視点を持つことが必要です。
戦後、すでに41年。その間首都圏の人口動態は激しく、また日本全国からの人口流入傾向が続いてきました。このことは、当時首都圏内各都市での戦争体験者の流動と人口比の減少を予想させるものですが、他方、より広域、多数の戦争体験が集積されていることも推測されます。このことから、今日の伝承は、戦争世代が持つどこの地域でのどのような戦争体験であれ、各都県の中で行なわれるべきでありましょう。戦争の全体像を明らかにするために必要であるだけでなく、その視点は核兵器廃絶という国民共通の願いの原点である原爆被爆体験の積極的な継承の重要性をを導き出すものです。
今日、被爆者の6%が首都圏に住んでいます。その人びとの体験をもとに、ヒロシマ・ナガサキの実相を伝えてゆくことは、首都圏でも活発に行なわなければなりません。それは広島・長崎の両自治体にだけ負わすべき責務ではなく、また両市の資料館(広島平和記念資料館・長崎原爆資料館)を訪れなければ、被爆の実相を語る資料に接しられない状況は、改善されなければなりません。
4.平和の努力を集積し普及し、戦争の危険を警鐘する
世界平和の実現にとって、過去の戦争に関する各種資料・情報が大切であるとすれば、現在と現在に至る平和を希求するあらゆる分野での営み、行動と努力に関するさまざまな事実と資料・情報、その紹介と普及もまた必要です。最近でいえば、戦後40周年に前後して、文学やルポルタージュの分野での無数の作品、10フィート映画運動やそれが導火線となって作られた映画やテレビ映像の作品群が生まれ、そして平和美術展・平和ポスター展運動があり、反核平和コンサートも活発化しています。さらに平和教育の必要性がますます意識され、新しい学問領域として平和学が生まれ、学際的な研究としての平和学会の活動もすすんでいます。
つまり、日常的な平和のための諸活動に限らず、映画・映像、写真、絵画、ポスター、まんが、工芸、彫刻、音楽、文学、演劇そして報道等広い意味での文化的活動の分野、ならびに学術・研究の分野での平和を達成するための努力と取り組みの成果を、国の内外を問わず集積し普及することもまた必要です。それ自体が平和を確かなものにしてゆくための基本的な努力として、位置づけられるとともに、しかもそれは、生きていることのすばらしさを育み、明日へ向かっての平和への取り組みを励まし、平和的国際社会を創造するあらゆる分野での努力を活性化する結果をもたらすからです。
平和への取り組みが必要なのは、さまざまな要因のもとに、さまざまな戦争の危険が存在するからです。それらを過去の歴史上の経験から学ぶとともに、その今日の危険と戦争の動きを事実を通じて明らかにし、広く人々に知らせ警鐘してゆくことも不可欠です。
5.国際的な相互理解と協力・連帯をすすめる
今日の国際社会は、高度に緊密な相互依存と文化の多様な重なり合いの中で動いています。しかも、すでに世界に依存しなければ生きてゆけない日本にとって、世界の平和は不可欠の条件です。国家間の戦争の手段を縮小し、取り除く努力とともに、国境を越えて市民と市民、都市と都市が交流し、急速に相互理解を深めていく努力と継続的な営みが、ますます重要になってきています。
このことは平和への取り組みにおいても、意識的に普及されなければなりません。近年、平和運動の分野において、国際会議や各種イベントを通じて人的交流、活動経験の交流が活発化していますが、そればかりでなく核問題をテーマとした写真集や映画等の国際的普及・交流努力が、海を超えて、直接市民やサークル・団体の間で活発化する動きが注目されます。
こうした流れは自治体にも反映し.「世界平和連帯都市市長会議」(広島・長崎)、「平和サミット」(広島)、「シンポジュウム・アジア太平洋における平和と変革/自立」(神奈川)、「世界平和を考える大阪会議」(大阪)、マンチェスターとコルドバでの非核自治体国際会議をうけて開かれた「非核都市宣言自治体全国大会」(広島)などなどの意欲的な取り組みとなって進んでいます。
こうした自治体としての取り組みは、国際的な交流と連帯を求め、民際外交を推進する新しい指向性を生みだしつつあります。社会体制の異なる国々も含めて、あらゆる国の市民、世界の都市との平和と連帯を意識した活発な交流が求められています。そのためにはまず、平和への取り組みについての情報の交換、経験の交流、平和に役立つ映画・映像をはじめとする文化的作品などの相互普及がもっと意識的に追及されるべきです。そして、それらの相互の努力が、一般市民の目に触れる形態で蓄積されることが望まれます。それは、国際的連帯と行動の輪を市民レベルでひろげてゆくことに貢献する、「民際化」時代の自治体の取り組むべき課題です。また、南北問題、環境問題、人権問題等についての市民の理解を深め、それらに対応する活動がしやすくなる条件を整えていくべきです。
6.広範な市民参加・活発で壮大な市民(都民・県民)運動の中で、開設・運営する
以上のことを総合的に実現するものとして平和博物館は構想されます。
ちょうど民俗資料館や美術館や各種博物館等が、人間の営みとしての文化遺産を、収集・保存・公開・研究の活動を伴いながら、過去から未来へと継承しつつあるように、戦争の体験と平和への努力が、個人体験や限られた人びと・地域の体験として止まることなく、社会的な体験・「戦争を知らない世代」も含む、通の経験へと広がり高められるような機能と機構を持った公共的システムが必要となってきました。
したがって、平和博物館は、単に戦争の遺品の資料保存館・陳列館ではなく、同時に平和と戦争の問題に関する情報館・学習館であり、平和への様々な努力やそれに関わる人びとの学習と研究・交流、そして行動のための能動的センターとして位置づけることができます。
今日、まだこの種の国家レベルでの施設がないとき、首都圏に創られるべき博物館は、その施設の存在自身が、そこに住む人びとの世界平和に貢献してゆく意志を集中的・象徴的に表現するとともに、内容・設備・機能においても国際的な関心に耐え得るものとならなければなりません。単なるモニュメントであってはならないでしょう。
ところで、平和博物館開設の基礎が市民の戦争体験、時には戦時をくぐり戦災をうけた学校や行政機関、企業などの体験をも集約してゆくことにあるとすれば、その開設をめざす活動は、都市ぐるみの取り組みを必要とし、とりわけ、その平和施設の内容を充実させ、運営や活動を活発化するために、広範な市民の参加が不可欠となります。
たとえば、諸資料の収集や戦争体験の掘り起こし・収録活動などが、それ自体市民運動として展開されることが望まれます。そのためには、そうした市民運動の核となり、同時に施設の開設・運営・活動に協力し、開設事業そのものを支援する自発的な市民組織の活動が、施設の企画段階から先行して組織させるこが必要となります。それが開設後の市民の活用状況と施設の活性化を決定するでしょう。
また、平和博物館構想とそれを実現するためのすべての動きが、それ自体、21世紀へ向けて首都圏市民の平和の意志を伝達してゆくための市民運動として構築されるよう配慮されるべきでしょう。なぜなら、戦後半世紀に近い今日の段階で、市民の平和の声を自治体規模で結集・集約する壮大な事業となると同時に、都市として平和のために行動する重要な契機を創りだすからです。
したがって、この市民運動は、個人であれ、団体・企業であれ広範な参加をうながし、年齢や階層、専門分野、思想・信条・価値観の相違を越えた動きとなって取り組まれてゆくに違いありません。そして、その実現はその施設を拠点とした更に無数の新しい生き生きとした平和への若い市民の取り組みと力を、生み出してゆくことでしょう。平和博物館の開設は、平和を守り築いてゆくために、自治体として取り組むべき「条件づくり」の要となる今日的課題です。しかも、それは、急がれねばなりません。
注:平和博物館という用語について=上記のような構想を内容とする施設について端的に表現できる日本語が浮かばない。いままで一般には、平和記念(あるいは祈念)館、平和資料館などがある。平和情報館、平和館も考えられるが前者については物自体も情報だとする理解はまだ浅く、後者については説明的文中では一般的にすぎよう。
英語でいえば明らかにアーカイプス(Archives)ではなく、ミュージアム(Museum)かセンター(Center)を使うことになるであろう。だが平和センターでは様々な意味に解され、内容がイメージとして浮かんでこないきらいがある。そこでミュージアムの訳語の一つ「博物館」を総称的な意味で使用した。
帝室博物館時代はすでに過去のもの。今日の博物館の内容・機能イメージも大きく変化している。博物館という言葉のもつ意味もイメージも変わってゆくのかも知れない。
1.次の世代に戦争の実相と悲惨さ、平和の尊さを伝える
首都圏(各都県)における過去の戦争体験を基礎に、戦争の実相・全体像を明らかにすることを通じて戦争の悲惨さと平和の尊さを、「戦争を知らない世代」、さらに後世に残し伝える。それは、平和と戦争の諸問題をめぐる今日を考え、21世紀をになう若い世代へ、平和な国際社会を築き、引き継いでゆくためである。
2.首都圏(各都県)の地域性を、日本全体の中で位置づけ、国際的視野でとらえる
首都圏の戦争体験を、15年戦争の歴史的流れの中に位置づけると共に、同様の惨禍を受け、戦火が及んだ日本全国、更にアジア・太平洋地域のひろがりの中でとらえる視点をもつ。また、第一次、第二次世界大戦の戦場となった東西ヨーロッパとの関連でとらえる。同様に、今日首都圏とその住民が平和と戦争の問題をめぐって置かれている位置が、どのようなものであるのか、戦争の危険と首都圏がどのように関わりをもち、国際関係の中でそれがどのような意味を持つのか。また、首都圏市民の平和への願いと努力が、国際的にどのように位置づけられ、どのような意義と役割を持つのかを明らかにしてゆく。
3.平和に役立つ諸資料・情報を集積し、市民に普及し、一般利用に役立てる
近・現代におけるこれまでの各種各様の平和のための努力を掘り起こし、今日と明日に生きる平和と戦争に関するさまざまな分野での各種資料・情報を収集、整理、保管、展示、公開し、一般利用できるものとする。また、それらの資料・情報が、今日の視点から利用者によって容易に引き出せる先進的仕組みと体制を整えてゆく。また、内外の類似の平和施設・団体の持つ所在資料情報を収集し、提供する。平和に役立つ市民のための豊富で正確な情報メディア・情報センターとする。
4.内外の平和への取り組み・努力の交流・普及をはかり、平和のために市民と世界を結ぶ場とする
首都圏(各都県)内の草の根・市民レベルでの活動をふくむ多様な平和への取り組み、あるいは環境・人権・南北問題等の様々な領域における取り組みをつなぎ、交流し、普及する。また、同様の努力を日本全国と世界の都市へとひろげてゆく。
世界平和の実現のために、世界の人・物・情報が直接相互交流するための場とする。とりわけ、世界の人びとの平和への取り組みに関する情報、世界各地における都市としての平和実現努力、また、内外の文化・芸術・学術研究、報道などの分野での平和へ貢献する成果、平和活動に役立つ諸資料を集積し、市民とそして時には世界各地の人びとに公開・提供することによって、首都圏市民の平和を希求する心と世界の人びとの心を結ぶ。
5.平和問題に関する市民の関心を高め、自主的な学習の場とする
戦争と平和に関する現代的課題の展示、講演会、懇談会、シンポジュウム、常設映画会などさまざまな活動を通じて市民の平和意識を発揚し、母と子、家族、あるいは青少年、学生、婦人、社会人などそれぞれの関心に応えられる学習のための場とする。また各都県内の小学校から大学にいたる各種学校との協力・提携関係を強め、学校教育の一環としての活用をめざす。また開発・環境・人権問題の学習など生涯教育の場とする。同時に図書館・公民館・学校等他の自治体施設と提携して、移動平和博物館活動など各地区市民への能動的な普及サービスをはかる。
6.平和博物館を充実してゆくための調査・研究機能を備える
館の内容・機能・活動を充実させ、未来に役立つものとするために、国際的な平和の推進に必要な幅広い知識と国際的能力、積極的な意欲、新鮮で柔軟な感覚に裏づけられた調査・研究、サービス機能をもち.常に魅力のある生き生きとした平和の「館」とする。また、内外各種の平和教育・平和研究機関・団体との交流と連携活動をすすめる。
7.市民の参加・協力のもとに開設を準備し、運営する
すでに首都圏の中で活発化している平和博物館開設を望む市民の声と活動に依拠して、開設を推進するための支柱的要素となる市民運動の展開に期待する。このことは、平和は1人1人が考え行動してゆくことによってこそ、初めて実現出来るという現実的立場の実践であり、都政、県政への市民参加の活性化をもたらす。
そして市民の声や要望や活動を、この平和施設の開設準備段階に終ることなく、その開設後の運営に反映させる効果的な仕組みと方策を追求する。その一つとして、館の活動に意欲的な市民とさまざまな専門分野、活動領域における専門家との間に協力ヨ係を成立させ、平和博物館の全活動を恒常的に発展・強化させるような、市民による自発的な協力組織(例えば、平和博物館友の会)をつくり、提携・協力して活動をすすめる。
8.首都圏(各都県)市民の世界平和を希求する心と営みが象徴的に表現され、体現されると共に、それ自体が21世紀へ残すモニュメントとなるような施設とする
首都圏市民(都民あるいは県民)の平和を求める心と営為に基づき、それを内容的にも、建築の設計・形態上も表現するとすれば、その施設は、首都圏における平和のシンボルとならざるを得ない。
したがって、過去の戦争の犠牲者を追悼し、いまなお苦しみと悲しみのうちにある被爆者を激励し、平和を祈念する場とする。同時に、生きていることの尊さとすばらしさを感得し、人類の未来を切り開く首都圏市民と世界の人びとを結んだ学習と活動と交流の場、恒久平和創造の場とする。そのような象徴的意味を包み込んだ、特色のある平和博物館を開設する。その存在自身、次の世代に残す最良の贈り物であり、21世紀へ遺す最大のモニュメントとなろう。
1.展示機能
展示の構成展示は、常設展示と企画展示の二系統で行なう。常設展示は、
- 15年戦争における戦争体験の継承を中心とするが、特に空襲戦災体験・庶民の戦時生活・原爆被害の実相・平和への取り組みを含むものにする。
- 世界での戦争の悲惨を象徴的、代表的に示す事実、都市としての平和への取り組み等を視覚的に展示する。市民のニーズの高まりと国際交流が活発化する中で、順次充実してゆく。企画展示は、その都度、主に平和と戦争に関する現代的・今日的テーマによる展示を行なう。本構想の1―4も考慮する。内外の類似平和施設との提携展示、市民の自主企画展示も考えられる。新資料の発掘、収集にも役立てる。
展示の方法展示は、調査・研究に充分裏打ちされ、明確なシナリオにもとづいたわかり易いものでなければならないが、そのために、実物資料だけでなく、復元・模型資料(レプリカ)、あるいは写真・スライド等の映像、照明、音響を立体的に組み合わせて構成する。解説文はおざなりでなく、内容・長さ等充分吟味されたものとし、日英両文で行なう。また、朝鮮・中国・ロシア語等で解説リーフレットを用意する。技術専門家も含めた各方面の"学際的"協力も必要。
2.収集・保管機能
収集・保管資料の種類と範囲
基本構想のI−2〜5、II−3〜4の立場に立って考える。したがって、戦争中の物品資料に限らず、平和と戦争に関する次のような資料全体を対象とする。
- 戦争中の物品資料=軍隊、日常生活、空襲戦災、軍国体制、戦没遺品関係資料など。
- 文字資料=文学・記録書を含む図書・文献・市民発行のビラ・パンフ類。そして新聞・雑誌情報も重要。
- 映像資料=映画、ビデオグラムなど作品化されたものだけでなく.未編集の映画フィルムなども。特にドキュメンタリー映像は重要。またテレビ番組の収録・ライブラリー化、音声資料等も考慮する。
- 写真資料=特にオリジナル・ネガ、オリジナル・プリントを重視する。
- 作品資料=ポスター、まんがを含む絵画、レコードディスク・テープ・楽譜など音楽関係、工芸、彫刻等の作品。
収集・保管の方法
- 戦中資料は、まず所在調査を先行し、提供可能なものから収集しては体系的な資料群となることをめざす。提供出来ないもの、入手困難なものは品目の登録・一時委託などの方法をとる。資料の発掘・提供運動をすすめる。
- 収集資料は、最適な保存手段と方法で整理・登録・保管・されるが、特にその背後にあるデータ(写真・映画・映像類は被写体の読み取りを含む)の保存、あるいは映画・写真フィルム、写真紙焼プリントなどは耐久性を考慮した複写保存等が重要。
- コピーライト等権利問題が伴う資料類は、提供者との間で充分な意志疎通をはかり、活用にあたって慎重な配慮を必要とする。
- 国内外の類似平和施設、関係機関、団体等と資料・情報の交換をおこない諸資料の充実をはかる。
3.情報・学習・交流機能
情報センターとしての機能
市民の平和への取り組みに必要とする各種・多方面な情報(身近には市民団体の動き、平和への様々な取り組み、平和諸行事、関連平和施設・機関の各種資料と活動の情報等を含む)を収集、整理、保管すると共に広く市民に提供する。
コンピュータやインターネットと連動した衛星通信などを通じて、平和情報の国際ネットワークを作り、内外の平和諸活動の連帯を強め、情報伝達のスピード化と集積能力・利用度を高める。
また、諸資料の整理・保管との関連では、誰でもが効率良く引き出し、利用できる検索と提供の方法をもつ。たとえば、内容からの書名の検索、映像や写真などの中身の種類・性格別整理と閲覧方法の効率化、コンピューターの利用など。
学習センターとしての機能
個人、団体を問わず、平和学習のための諸資料の閲覧、貸出し、コピーサービスを行ない、各種の質問、相談に応じる。
展示物の解説員(市民ボランティアも含む)、オーディオガイド、解説用リーフレットなどを用意し、来館者の関心や世代別レベルに応じたサービスを提供する。
各種の座談会・講演会・映画会・シンポジウムを開催し、積極的に市民の関心とニーズに応えてゆく。特に、定期的に多面的多様な内容をもつ市民の「語り部」の集い、平和講座等を解説する。
市民や学校などのために各級講師のあっ旋、広島・沖縄への修学旅行、文化祭の事前学習などに協力する。また他の平和施設・記念物への見学やアウシュヴィッツ博物館、アンネの家、あるいはアジア太平洋地域の戦争遺跡など、世界の平和史跡を訪ねる海外平和ツアーなども民際外交の一環として企画し、実施する。
交流センターとしての機能
特別企画展示や平和のための各種文化的な行事を企画し、実施するだけでなく、市民が自主的に企画するさまざまな行事や活動に会場を提供するなど、平和のために人びとがカジュアルに集い、語り合い、交流する場(若者や市民同士、市民と専門家、世代間の交流、そして国際的な交流)となるよう運営する。
4.調査・研究・普及機能
内容と活動の質の向上展示活動に限らず、館の活動全体の良質性を維持し保障するためには、熱意のある人材を必要とすると同時に、調査・研究機能を持つことが不可欠である。また写真や映像資料は、その内容を特定するのに時間的要素を含む調査・研究を伴わないと資料価値が低下してしまうものもある。
原爆被爆関係資料はその一例。
学際的な立場での取り組みと広範な人びとの協力、平和と戦争に関する調査と研究は、学際的な性格をもた持たざるを得ない。また市民も平和への営為と館活動を普及して行くためには、さまざまな能力を持った人びとの協力が必要である。そのために、幅広い研究者・各ジャンルの専門家、戦争時代の体験者、そして意欲的な市民の協力関係を成立させる必要がある。この立場から調査・研究を行ない、その成果を普及活動の中に生かし館の活動全体に反映させ、永続的な活性化をはかる。
館活動の全容の紹介と普及館の案内書(ガイドブック)だけではなく、企画展示をはじめとする館の動き、資料収集や調査・研究の成果、内外の新しい情報など平和博物館に関わるすべての活動を積極的に市民に紹介し、普及する。それ自体、平和の活動を日常化してゆくための取り組みとなろう。
そのために広報紙・誌、パンフレット・図書類の発行、平和諸資料の作成などを市民の協力と参加のもとに進めてゆく。また、距離的、時間的に館になかなか足を搬べない地域の人びとのために、展示物をテーマを持ったセットにして移動展示する「移動平和博物館」活動を行なう。同様の活動を国際的にも考慮する。
5.追悼・平和祈念の要素
平和博物館の開設自体、空襲・戦災による犠牲者、戦争で亡くなったすべての犠牲者への追悼と、再び悲劇を繰り返さない思いをこめた平和祈念の心を表現するものであるが、にもかかわらず、館の内容の中心的要素として、その心を形に現した構造物、あるいはそれを象徴的に包みこんだ空間とが必要であろう。館の内部か外の庭園かは問わず、館の機能や性格とのバランスのとれたモニュメントと静謐な空間とを設置することも考えられる。
6.明るさと知的楽しさの要素
この種の施設は、ややもすると押し付けがましく、陰うつで、コワイ存在になり易い。人間社会の最も深刻な問題を扱う場所だからである。だが、一番来館して欲しいのは、戦争を知らない若い世代である。
展示や学習・交流・普及活動、そして施設の設備すべての面に亘って、若者たちの感覚を充分に考慮に入れる必要があろう。「こわさ」は事実に基いて思い切ってこわくて一向にかまわないし、むしろ、そうでなければならないが、感性に訴えるだけではなく、知的な関心や興味を引き出すような知的なアミューズメントの要素を折り込む必要が至るところで工夫されるべきである。
また、施設や設備の点でも、カラフルなモザイク・タイルの壁面をもつ廊下、必要ならスリガラス越しに明るい自然光が入ってくる開閉自在の屋根をもつ企画展示室とか、緑が豊かでゆったりくつろげるビュッフェとか、平和の本と共にシャレタ、ステキなピース・グッズが買える売店とかなどなど。何回でも恋人や親友と一緒に若者が足を向けたくなり、帰途には平和への明るい決意が心に浸みわたるような、そんな平和博物館を開設する。
施設と設備には、機能と活動に見合って次の内容が考えられる。通常必要とするものは省略する。
- 展示関連施設、常設展示室(含・ビデオブース)、国際展示室、企画展示室、展示準備室(含・展示用備品収納庫)、休憩ロビー
- 保管関連施設、物品類収蔵庫(含・資料整理室)、映像関係収蔵庫(含・空調、磁気変動防止装置。映画フィルム・ビデオテープ編集用機器).
- 情報・学習・交流関連施設ホール(含・映画・超大型ビデオ上映設備。最小でも1学級が入れる50人規模)。スタジオ(多目的スペース)、会議場(含・国際会議用設備)、図書資料室(含・閲覧コーナー)、映画・ビデオ・CD・VDV試写試聴室(含・VTRやCDブース、音楽・音声資料等録音テープのブース)、会議・研修室ボランティア休憩室
- 調査・研究関連施設、研究室(含・図書資料室)、会議室
- 管理・運営関連施設、事務室等通常必要とする各室、空間の他に、コンピューター室、運営委員会用会議室、参観用バスの止まれる駐車場、移動平和博物館用自動車、平和世界周航船(世界移動平和博物館・洋上平和大学・国際的青年交流ゼミナール、洋上フェスティバルなどができるような多目的な平和の船の構造を検討する)
学識経験者・市民を含む運営委員会、平和博物館事業推進財団、平和博物館友の会(いずれも仮称)などの設置を考慮する。
以上 |