プラットフォームで死んでいた母子

浦上駅プラットフォームで死んでいた母子。黒く見える部分は朱褐色で、子供の顔は腫れ上がっていた。
岩川町[現在・川口町](爆心地から南約1km)

1945年8月10日 昼頃。

[注]
布団が敷いてあるのは、焼け残った旅館から近所の人たちか救援隊が、持ってきたものといわれている。


Yamahata photographs (c) Shogo Yamahata
山端庸介写真(c)山端祥吾