爆心地付近。松山町交差点すぐ西側の惨状。焼死体が散乱、砕けた瓦が一様に敷き詰められたように散っている。口を開けた防空壕も見える。左端は山端庸介に同行した画家山田栄二氏のスケッチする姿。 |
爆心地付近。松山町交差点すぐ西側の惨状。焼死体が散乱、砕けた瓦が一様に敷き詰められたように散っている。口を開けた防空壕も見える。 右から中央に伸びる低い土手は、市内電車(架線の電柱が残っている)とその向こう側を平行に走る国鉄長崎本線の線路、破壊された電車も見える。 (爆心地から西50〜100m・爆心地近傍一帯) 1945年8月10日 午後1〜2時頃。 |
Yamahata
photographs (c) Shogo Yamahata
山端庸介写真(c)山端祥吾