1945年8月9日、西部軍報道部員山端庸介は

特命を受け原子爆弾が投下された長崎に向った。

翌10日未明、長崎に入ると先ず長崎地区憲兵隊本部に足を向けた。

市内の状況を把握し、撮影の許可を憲兵隊から受けるためであった。

そして、ここから被爆翌日の長崎の記録がはじまった。

 

「人間の記憶は年々環境や生活の変化で批判が甘くなったり、誤ったりして行く。

しかし、キャメラが把握した当時の冷厳なる事実は、今日でも少しも粉飾されず

八年前の出来事を冷静にそのまま皆様方の前に報告している。」

 

1952年、当時の撮影メモをこう結んだ山端庸介がその目で捉えた

被爆翌日の長崎の記録:The Day after the Nagasaki Bombing