袋町国民学校


瓦礫の中の袋町国民学校全景。爆心地から南東 600m。中区袋町。
爆心地に近かったにもかかわらず、鉄筋コンクリート3階建ての校舎は、内部消失を免れ被爆直後から臨時救護所の一つとなり、市の中心部にあったため、やがて患者治療の救護病院となった。1階は治療所と県医療団事務所、2階が県衛生課、3階が医薬品倉庫として使われた。

焼け残った学校の壁に残る伝言メモ。袋町国民学校救護病院で。
袋町国民学校階段の壁に書かれた連絡メモ。
焼け残った学校の壁に残る伝言メモ。袋町国民学校救護病院で。

窓ガラスもない教室の中での外来治療状況。

教室を使っての治療状況。背後の家帳の奥は入院患者の病床。

教室を使っての治療状況。背後の家帳の奥は入院患者の病床。

どこの救護所でも同じだが、「衣料品の不足を補うため、食塩溶液の代わりに煮沸した海水が蒸留された。ビタミンBの代用に、柿の葉から煎じ薬が作られた。医薬品の不足、食料の欠乏は入院患者の体力を衰えさせた」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より]。
袋町国民校救護所

袋町国民校救護所

菊池メモ:受傷地:手野町 方向:光線左より、火傷 服装:国防色ランニングシャツ、ズボン 病状:頭髪光線に依り一部切れる 軽度の脱毛有り 下痢、発熱あり