広島逓信病院


広島逓信病院全景。爆心地から北東 1.3km。中区東白島町。
近くに軍の施設が多いことから、空襲に備えて1か月前から入院患者全員を退院させていた。「逓信病院も被爆患者であふれていた。貯蔵してあった医薬品は、四日目に完全に使い尽くした。医師と薬局員12人の内、死者3人負傷者は院長はじめ5人。そのうち負傷者を含む7人が、(他の事務職員と共に)被爆直後から周囲の火災から病院を守り、負傷者の手当てに当たった」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より]。

外来治療室
外来治療室

菊池メモ:受傷地:幟町(中心より1000m)病状:火傷なし 受傷部位、左眼球及び外背より左耳下に及ぶガラス切創 左肩部前後ガラス破片創 白血球(2500〜3500)、9月5日眼球内容除去(硝子体潰瘍のため)、経過良好ならず

広島逓信病院眼科治療室。

被爆患者には下痢症状が多かったため、伝染病と誤認して建てられた裏庭の木造小屋。この時は臨時剖検室として使われていた。

臨時剖検室。
解剖手術。

臨時剖検室。

当日いた職員は事務関係者を含めて37人、当日の避難患者は約 200人、そのうち第一日死亡は85人。廊下といわず庭にも負傷者があふれたのは日赤病院と同じで、その後常時 500〜600 人の患者を収容した。

逓信病院

逓信病院

逓信病院
 解剖手術

逓信病院

逓信病院

2階ベランダから、白島電停付近を経て京橋川方面を望む。「ある病院長はこう語った。『退院させても、彼らには帰る所がないのです。この病院も、もう病院ではなくなり、ただの貧民窟になりそうです」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より]

逓信病院

逓信病院より市内中心街方面を見る