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外来治療室 |
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外来治療室 |
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菊池メモ:受傷地:幟町(中心より1000m)病状:火傷なし 受傷部位、左眼球及び外背より左耳下に及ぶガラス切創 左肩部前後ガラス破片創
白血球(2500〜3500)、9月5日眼球内容除去(硝子体潰瘍のため)、経過良好ならず
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広島逓信病院眼科治療室。 |
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被爆患者には下痢症状が多かったため、伝染病と誤認して建てられた裏庭の木造小屋。この時は臨時剖検室として使われていた。 |
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臨時剖検室。 |
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解剖手術。 |
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臨時剖検室。 |
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当日いた職員は事務関係者を含めて37人、当日の避難患者は約
200人、そのうち第一日死亡は85人。廊下といわず庭にも負傷者があふれたのは日赤病院と同じで、その後常時
500〜600 人の患者を収容した。 |
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逓信病院 |
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逓信病院 |
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逓信病院 |
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解剖手術 |
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逓信病院 |
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逓信病院 |
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2階ベランダから、白島電停付近を経て京橋川方面を望む。「ある病院長はこう語った。『退院させても、彼らには帰る所がないのです。この病院も、もう病院ではなくなり、ただの貧民窟になりそうです」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より] |
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逓信病院 |
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逓信病院より市内中心街方面を見る |