似島検疫所


「(被爆当日の)夕方になって送られてくる患者は、宇品でも応急手当を受けていない重傷者が多くなった。隊員だけでは人手が不足でどうにもならぬ。患者の食事は似島町の人たちが手伝い、温湯・果汁・冷凍みかん・粥などが与えられた」[「」内は、仁科記念財団編纂『原子爆弾=広島・長崎の写真と記録』より]

似島検疫所
9km離れたこの似島でも、爆風による窓ガラスの被害が認められた。
第三桟橋から見る似島検疫所。2階建てが本館。

似島検疫所

当時使用されて廃棄されたアンプルなど。

当時使用されて廃棄されたアンプルなど。

「墓標には『千人塚』とあるが、初めの1週間にこの検疫所で処置した死体だけでも、1300人を越えた」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より]

次々に亡くなる死者を埋葬した墓

千人塚

死亡者1,300名埋葬

似島臨時救護所。爆心地から南約9km。
「広島湾内の似島(にのしま)には、当時陸軍の検疫所があった。ここに野戦病院がただちに開設された。患者たちは次々と船ではこび込まれ、応急手当とクレゾール入浴を施された。原爆投下のその日だけで、ここに運び込まれた患者は約2000人に達した。それに対して、軍医以下80人の衛生部員は、三日三晩連日まんじりともせずに救護に当たった。通常1000人の収容能力を持つ検疫所付属病院は、1日3000人から9000人の患者を扱った」[「」内は記録映画『広島・長崎における原子爆弾の影響』より]

民間船着場から望む軍馬防疫班舎屋。

検疫所の遠望。

似島町の遠望。

似島望見。