陸軍病院宇品分院


広島第一陸軍病院宇品分院・正門。爆心地から南南東4km。南区宇品町。
大和人絹広島工場は、当時陸軍に接収されその工場の三分の二が「陸軍船舶練習部」に使われていた。建物の多くは木造だったが、爆風被害はガラス窓の破損と屋根瓦が飛んだ程度だった。被爆直後から負傷者たちは続々とここに難を逃れ、一人一人に応急処置をして収容する状況ではなかった。午後四時頃から重傷者たちが、表門からはトラックで、裏門からは舟艇で運び込まれつづけた。停電の中で、ロウソクと懐中電灯で徹夜の救護活動
が続いた。野戦収容所の感を呈していた。8月25日になって「広島第一陸軍病院宇品分院」となった。

菊池メモ:小岩(20.10.1撮影)受傷地:千田町国民学校(南方2km)
方向:左後方より 服装:パンツのみ 姿勢:休め
程度:第二度、一部は第三度 火傷のみにて原爆症状なし

小岩(20.10.1撮影)

菊池メモ:高谷(20.10.2撮影)受傷地:中心部より北方約1km。窓ぎわより3〜4m
服装:上…裸体、下…白作業袴 姿勢:立位
病状:ガラス破片創に依る特異な動脈瘤 ガラス破片被服はとほらず上半身裸体部分のみ 165の創あり 軽度の原爆症状有り

菊池メモ:智谷氏(生存教師)、(20.10.1撮影)受傷地:104部隊内(中心地北東900m)
方向:左後ろより 服装:軍装、右手に白包帯 姿勢:立位、右手前
病状:受傷10日後より原爆症状現る 中等度の脱毛 歯茎出血 出血斑有り 安静療養
1ヶ月後未だ白血球1400 火傷比較的軽度 近距離の為軍装焼ける 然るに白包帯焼けず

智谷氏(生存教師)、(20.10.1撮影)

菊池メモ:飯田(20.10.2撮影)受傷地:比治山橋東方300m(爆心地より2km)
方向:左前より光線 服装:単独の軍装 姿勢:駈走中
病状:光線で両眼浅い角膜炎 程度比較的軽度

飯田(20.10.2撮影)

飯田(20.10.2撮影)
菊池メモ:安井(20.10.2撮影) 受傷地:千田町(約2km)屋外 方向:右より光線 服装:国防色半袖 病歴:原爆症なし、受傷後45日右大腿より植皮す(撮影1週間目) 重点:一般に原爆症には植皮不可能なりとの説あるも植皮可なるを証明

陸軍病院宇品分院
受付近くの案内板。