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2.損傷すすむ半世紀前のネガ

  私たちの市民運動(前身は「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」)が最初に原爆写真展を開いたのは、東京・新宿の紀伊國屋書店内の画廊であったことを思い出す。
  当時会長としてご健在であった店主田辺茂一氏のご好意によるもので、それは、1978年早春のことであった。そして、海外での最初の写真展はその年の五月、史上初の国連軍縮特別総会開催中のニューヨーク市内の広場や公園であり、国連本部前のカーネギー平和財団の会議室であった。
  あれから足掛け十八年、印刷パネル展は言うに及ばず、私たちが組写真にしたオリジナル原爆被爆写真展が、国の内外でどのくらい開かれてきたことか。広島・長崎両市はもちろんのこと、国際的に見ても、南はハバナから北はキエフ、モスクワ、ストックホルム…。ヨーロッパでもワルシャワ、ソフィア、パリ、マドリッドなどなど20数都市にのぼって、核廃絶を訴えつづけてきた。
  だが、今回はそのどの原爆展にも優って重厚で、迫力と訴求力があったと思えてならない。それはひとつには、写真の 額装の冴えにあったかも知れない。鉄錆の模様と色の額縁に黒色のマット、写真の仕上がりサイズに合わせて切った斜めの鋭いカット面が、細い白線となって、写実作品自身の持つ緊張感を際立たせていた。 そして、多分には、50年という時間を隔てて開かれたことに伴う、次の二番目の意義と不可分な写真展であったからであろう。

  私たちは1978年春、最初に市民の手で編集・発行した写真集『広島・長崎=原子爆弾の記録』(布ハードカバー/A4変形版374ページ/1978年5月刊)のあとがきの中で、『オリジナル・ネガの願い』と小見出しを立て、次のように書いた。

「この本の出版が実現できるにあたって、どうしてもみなさんに知っていただきたいことがあります。それは33年前、ヒロシマ・ナガサキを撮影した写真家、撮影者ならびにその関係者、関係団体・機関のみなさんのことです。この方がたが、ほとんど実費で写真を提供してくださっただけでなく、実に暖かい協力の手をさしのべてくれたことによって、はじめてこの記録集は、高い資料的な価値と豊かな内容を持つことができたのです。いまその方がたの最大の関心事の一つは、すでに痛みはじめている33年前のオリジナル・ネガ・フィルムを最も効果的な方法と体制のもとで、どう保存してゆくかという問題です。私たちは、この歴史的な貴重な資料の永久保存問題に、心ある方がたが、多大な関心を寄せられることを切望するものです。」

  この時すでに私たちは、当時日本に存在したすべての原爆被爆関係のオリジナル・ネガフィルムに目を通すことによって、実践的にというか本能的にというべきか、恐らくその両方であったと思えるのだが、次のことに思い至っていたのであった。
  人類未曾有の悲劇の再発を防止するためには、記録写真のもつ力の決定的な大きさ、それらを保管している人々の協力関係の重要さ、そして朽ち果てつつある戦時下のゼラチン・フィルムの状態から、最も効果的な方法と体制の下で採られるべき永久保存措置の絶対的必要性についてであった。

  今回、東京都庁内で開かれた『グランド・ゼロの姿と実相』は、それらのことを再確認しつつ、10数年前の市民運動発足時には、とうてい予想もできなかったコンピューターの技術革新の力を借りて、永久保存の方法に一つの確実な解答を与えることになったと思っている。オリジナルネガを高解像度スキャナーで読み取り、縦横に拡大した素子画面を見ながら解析・修復した後、デジタルデーターとしてCD−ROM(コンパクトディスク読み出し専用メモリー)に書き込んで保存する方法である。
  この方法によれば、CD−ROMからコンピュータを媒介して、いつでも自在に直接ネガやポジフィルムに、あるいは印画紙上に再製することもできるし、もちろんインキ・ジェット・プリンターを使えば、かなりの大きさに拡大印刷することも可能である。

  こうして再生された松重美人さんの写真6点と山端庸介さんの写真17点が、都庁写真展を飾るように展示されたのであった。そして、松重さんの修復写真が展示されたコンパートメントの中央には、一台の大きなNEC製コンピューターとモニター(PC9821Xa10/c12と MULTI SYNC 21 PRO)が据えられていて、1サイクル5分10数秒のデジタル映像が繰り返し映し出されていた。
  題して『Ground ZERO 広島/1945・8・6+』。それはコンピューター修復とCD−ROM保存の過程と経過、修復の倫理上の考え方(コンセプト・コンテンツ)を、一見ビデオ映像と見えるが、実は最新のマルチメディア技術で作り出した動くデジタル映像と音声で物語るプレゼンテーション装置であった。
  私たちはこの原爆被爆写真展を、戦後市民平和運動史上画期的な出来事であったと考えている。


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