Story
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私たちの市民運動(前身は「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」)が最初に原爆写真展を開いたのは、東京・新宿の紀伊國屋書店内の画廊であったことを思い出す。 私たちは1978年春、最初に市民の手で編集・発行した写真集『広島・長崎=原子爆弾の記録』(布ハードカバー/A4変形版374ページ/1978年5月刊)のあとがきの中で、『オリジナル・ネガの願い』と小見出しを立て、次のように書いた。 「この本の出版が実現できるにあたって、どうしてもみなさんに知っていただきたいことがあります。それは33年前、ヒロシマ・ナガサキを撮影した写真家、撮影者ならびにその関係者、関係団体・機関のみなさんのことです。この方がたが、ほとんど実費で写真を提供してくださっただけでなく、実に暖かい協力の手をさしのべてくれたことによって、はじめてこの記録集は、高い資料的な価値と豊かな内容を持つことができたのです。いまその方がたの最大の関心事の一つは、すでに痛みはじめている33年前のオリジナル・ネガ・フィルムを最も効果的な方法と体制のもとで、どう保存してゆくかという問題です。私たちは、この歴史的な貴重な資料の永久保存問題に、心ある方がたが、多大な関心を寄せられることを切望するものです。」
この時すでに私たちは、当時日本に存在したすべての原爆被爆関係のオリジナル・ネガフィルムに目を通すことによって、実践的にというか本能的にというべきか、恐らくその両方であったと思えるのだが、次のことに思い至っていたのであった。
今回、東京都庁内で開かれた『グランド・ゼロの姿と実相』は、それらのことを再確認しつつ、10数年前の市民運動発足時には、とうてい予想もできなかったコンピューターの技術革新の力を借りて、永久保存の方法に一つの確実な解答を与えることになったと思っている。オリジナルネガを高解像度スキャナーで読み取り、縦横に拡大した素子画面を見ながら解析・修復した後、デジタルデーターとしてCD−ROM(コンパクトディスク読み出し専用メモリー)に書き込んで保存する方法である。
こうして再生された松重美人さんの写真6点と山端庸介さんの写真17点が、都庁写真展を飾るように展示されたのであった。そして、松重さんの修復写真が展示されたコンパートメントの中央には、一台の大きなNEC製コンピューターとモニター(PC9821Xa10/c12と
MULTI SYNC 21 PRO)が据えられていて、1サイクル5分10数秒のデジタル映像が繰り返し映し出されていた。 |
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