5.修復作業と倫理会議の意味
技術スタッフのチーフ・野口昇明さんの完成後の一文をお借りすると、コンピュータによる『修復と保存』について、次のように説明している。
「ヒロシマ」の当日を写したネガを50年の歳月が蝕んでいる。当時新聞社カメラマンだった松重美人氏が撮影した5枚のネガの修復・保存をマルチメディアの技術で実現しようと討議・テストを重ねて2カ月。被爆後初めて撮影したとされる原爆ドームの写真を加えた計6枚の修復を終えた。そして、デジタルデータからネガフィルムを出力し、50年の傷みから修復された被爆3時間後の「ヒロシマ」:
グランド・ゼロの姿が再現された。この修復データは、そのままCD−ROMに収められ、1枚のみが保存される。
この修復過程での重要と思われる、いくつかの点を補足すると、次のようになる。
- まず、松重さんに上京していただいてNECの技術スタッフと会合を持った。
松重さんからは被爆時の行動と撮影時の模様を証言してもらい、それに岩倉が被爆写真の持つ特殊的な意味とヒロシマ・ナガサキの全般的な被爆状況の概略的説明をおこなう。
それに対しNEC側からは、コンピューター・システムについての説明とデジタル修復作業の実演を通じて解析・修復の作業過程とその意味について松重さんの十分な理解と了解を得るための技術面での説明が行なわれた。
- 松重さんが所持するすべての複写ネガから8×10インチの軟・硬・普通調の3種の紙焼きを作り、その各写真と対比しながら複写ネガのうち最も情報量の多いネガを選んだ。
この時オリジナルネガは、ある訴訟との関係から、広島地裁にあったので、結果はオリジナルからの密着複写ネガが選ばれた。だがそのうち損傷の最も激しい1枚は、30数年前にオリジナルネガから直接焼かれた紙焼き写真を使用することにした。スキャンした情報量を比較したところ、密着ネガとあまり差異がなかったからである。
なお、これらの最終的な永久保存版は、オリジナルネガが松重さんに返還され次第、再度作業をして完全版にすることとした。
- NEC内では、技術的討議、テストから始まって完成まで2ヵ月、約20人の技術者が作業に参加した。修復作業の過程では、C&I(コンピュータ&インテリジェンス社・ソフト開発会社)の役員でもある岩倉とそのスタッフが、松重さんと平和博物館を創る会を代行して技術的な検討会に臨んだ。
一口に、修復作業といってもさまざまな問題を含んでいる。傷・汚れの部分でも、それが引っ掻き傷なのか、ごみ状の物が付着してのものか、黴によるものか、現像むらなのか、あるいは銀粒子を定着しているゼラチン面の変質によるものか?
それらを機器装置と経験を持った人間の頭の両方で解析・分析し、読み取って、のちに初めて修正をかけてゆくことになる。時には、欠けている部分を他の日本人写真家の写真や米軍撮影の写真を基に、補わなければならない場合もある。
そのようなわけで、かなり時間のかかるそれなりに大変な作業なのである。私たちは、それらを効果的、正確にクリアーしたと考えている。
最大の問題はそれらの修復写真が、確かに撮影時に近い状態で復元できているかどうかの最終判定である。私たちの場合は次の方法をとった。直接、修復にタッチした技術者の他に判定立会人に参加頂いて、対等平等の自由討議を通じて集団的に判定を下す試みである。それを私たちは「デジタル修復倫理会議」と呼んだ。参加者は次のような人々であった。
*松重美人氏(撮影者本人)*林
重男氏(広島・長崎の被爆写真双方の撮影者)*山端祥吾氏(アート・ディレクター・故山端庸介氏の写真保管者・アメリカでのコンピュータ修復立会いの経験者)*永井一正氏(日本グラフィックデザイナー協会副会長・平和博物館を創る会代表理事)*野口昇明氏(NEC技術陣チーフ・NECドキュメンテクス社マルチメディア制作部制作課長)と作業技術者数人*大橋
洋氏(同社写真部課長代理)*坂本
勝利氏(同社営業部課長)*竹岡克之氏(NEC広報部社会貢献推進室課長)*岩倉
務(被爆関係の写真・映像研究者としての立場で倫理会議の座長)。
なお特別立会人として草川
誠氏(朝日新聞京都支局)も加わった。また、以上の会議の様子を、スチール写真(連合通信社協力・田沼洋一カメラマン)とビデオ映像(SONY
PCL協力・西城勝夫氏ほか)で記録として撮影。さらに一般への報告用として、それらの映像と修復前後の松重写真を使用して、デジタル映像による「修復と保存=その経過と考え方『Ground
ZERO /広島1945.8.6+』(1周期約5分のCD-ROMサーキュレーション)を制作し、東京都庁展示会場でモニタ画面で公開した。
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